「奥様のような才女を妻にめとる事が出来て、まったくうらやましい」
「よしてください、愚妻でございます」
こんな会話を、よもや今更取り交わしているとは思えませんが、
一昔前、ちょいとした暮らしぶりをされている方々は普通にこんな会話をしておりましたな。
ここに出て来る「愚妻」という言葉をどう思われますかね。
読んで字の如し、おろかな妻と書きますな。
あたしたちがまだ中学生くらいの時分、この言葉に対して、
ヒステリックに反応した「ウーマンリブの戦士」がおりました。
(古い言葉だね、死語だね)
ま、男尊女卑を撤廃いたしまして、女性の人権を勝ち取ろうってことであります。
己の女房を「愚か者」扱いにするのは、「謙遜の美学」なのでしょうか。
はたまた「男尊女卑の悪癖」なのでしょうか。
そうしたことであれば、世の女性たちは本当に怒ってしかるべきでありますな。
それぞれの方々がどのように理解をされるかは、その個人に委ねるといたしまして、
なぜそのような言い回しが行われたんでしょうかね。
これは、愛妻を外から守る手立てだったようでありますな。
意外と思われたでしょうが、本当のことであります。
その昔日本は武家社会でありまして、無論男尊女卑や、
謙遜することが美徳とされていたことも事実であります。
家の主たるもの、家長としてその采配は家全体に及ぶ。
これがまずは一本の柱とされた考え方であります。
家内においては、何をするにしてもまずは大黒柱である家長、
つまりはお父さんが一番であると、尊ばれておりましたな。
帰ってくればまず風呂、着替え、夕餉と、家長であるお父さんが一番先。
物事を決めるにも、お父さんの意見以外は通らない。
もちろん妻と相談をするにせよ、結論は家長が判断する訳であります。
つまりは最高責任者という肩書きが、家長の肩にかかっていた訳であります。
家に訪問者が来る、妻が出迎える。
冒頭に書いたような挨拶が行われる訳ですな。
つまりは、こういったことであります。
妻の教育も、家長であるところの自分がすべて行っているわけで、
妻がいたらないことは、すべて家長である自分の責任である。
もしそのことで、お気に召されない様な事があれば、
愚かなる家長である自分をおいさめください。
「愚妻」と言い放つあたりは、こういった精神から発せられた言葉であります。
もちろん、自分だけではなく、女房もここらのことを理解していなければ、
なぜ自分を馬鹿呼ばわりするのかと腹も立てるでしょうな。
説明できない家長も良くはありませんが。
他人に「愚妻」と妻を紹介するのは、決して女房をさげすんでいることではなく、
それどころか、女房の人格をいたずらによそから非難されないようにとの、
家長の思いやりの言葉でもあったというお話であります。
どう思うかは個々人のお腹の中でお願いいたします。
(あたしんとこの女房はは才女だけどね)